木肌カラー ノンロット

木材博士Dr.矢田の建築士のための木材講座

1)木の文化

 ユネスコの世界遺産に登録されている日本の文化遺産を表1に示す。その過半数が木造建築物及びその関連施設であることからも明らかなように、日本の伝統的な木造文化は国際的に高く評価されている。筆者は、法隆寺が世界遺産に登録されたときNHKの記念番組制作においてヒノキの曲げ強度性能試験を担当したが、構造部材として1,300年経過したヒノキ古材の強度性能の高さに驚愕したことを今でも記憶している。我々の祖先は身近に手に入る木材を手工具だけで加工し、人の手足だけで組み立てて、これほど長期耐用の建築物を作り出す技術をどのようにして身につけたのであろうか?
 このことを解明するには、古代の木材加工・建築技術について学ぶ必要がある。

表1 日本の世界遺産(文化遺産)

  1. 法隆寺地域の仏教建造物 - (1993年12月)
  2. 姫路城 - (1993年12月)
  3. 古都京都の文化財 - (1994年12月)
  4. 白川郷・五箇山の合掌造り集落 - (1995年12月)
  5. 原爆ドーム - (1996年12月)
  6. 厳島神社 - (1996年12月)
  7. 古都奈良の文化財 - (1998年12月)
  8. 日光の社寺 - (1999年12月)
  9. 琉球王国のグスク及び関連遺産群 - (2000年12月)
  10. 紀伊山地の霊場と参詣道 - (2004年7月)
  11. 石見銀山遺跡とその文化的景観 - (2007年6月)
  12. 平泉−仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群 - (2011年6月)

2)木材加工の歴史

 昔から日本人は木材を生活の様々な場面に生かしてきた。一例として、弥生時代の集落である登呂遺跡(静岡市)を見てみよう。これは水稲耕作を生活の糧とする集落で、水田の畦道や水路の矢板には膨大な量のスギ割板が使われており、貴重な穀物を保管する掘立柱の高床式倉庫もスギ製である (図1) 。竪穴式住居の骨組みは丸太を植物製の紐で緊結してある。その他、お椀などの什器も木製で、槌や鍬などの道具には重くて硬い広葉樹のカシ類が使われている。すなわち、木材を「適材適所」に使っていることがわかる。
 これらは周囲の森から斧を使って切り出したもので、木口(丸太の横断面)に楔を打ち込んで割ることによって製材し、釿(ちょうな)ではつり、鑿(のみ)を使って仕口加工・穴あけ加工している。彼らは、はずみ車を装着した舞錐式火起し器を使用していたので、これは細穴をあける錐(きり)としても使用されたであろう。この時代は大陸から鉄器が国内に導入された時期であり、従来の石器に比べて加工レベルは飛躍的に向上している。農業生産性に優れた水稲と加工性に優れた鉄製工具の採用は、まさに世紀の技術革新であった。
 弥生時代末期の吉野ヶ里遺跡(佐賀県)では、木材の結合が従来の紐結わえ方式から、ほぞ穴・相欠き等を多用した本格的な木組みへと発展している (写真1) 。ただ、縦引き用の鋸(のこぎり)は中国などの隣接国よりも発達が遅れていたが、これは日本では割裂しやすいスギを多用していたので必要性が欠けていたためと考えられている。


図1 登呂遺跡の高床式倉庫(関野克博士による復元図)

写真1 吉野ヶ里遺跡の物見櫓

 古墳時代の木製埴輪等の出土品を見ると鋭利な刃物を用いて正確な細工がなされており、手による木材加工技術が完成の域に達したことがわかる。

3)木造建築の歴史

 弥生時代の住まいは竪穴式住居で、その多くは壁面を持たない伏屋式であった。今日的な見方をすれば小屋組だけの簡素な住まいと言えよう。集落の拠点的建物に採用された壁立て式の竪穴住居は、その後の日本の農家や民家のもととなっている。高床式倉庫は、その後、神社建築様式の一つである神明造(高床で屋根は茅葺または板葺)へと発展した。さらに、高床式の建築様式は平安時代には高貴な人々が過ごす寝殿造りへ、鎌倉時代には書院造へと繋がっている。
 これらの建造物の多くは掘立柱方式で造られたため湿潤土壌との「腐れ縁」が断ち切れず、その耐用年数は十数年〜数十年という短いものであった。豊かな森林資源を背景とした工法であったと言える。日本の人口が一千万人未満の時代(15世紀まで)はこれが許容されたであろうが、一億人を抱える現代にあっては、このような資源の無駄使いは許容されない。
 6世紀末の仏教の伝来とともに版築工法で地盤固めをした地面上に礎石を置き、その上に柱を建てる礎石式の寺院(屋根は瓦ぶき)が建造されると、その耐朽性が注目され、次第に寺院以外の建物にも普及するようになった。世界最古の木造建築として著名な法隆寺金堂・五重塔(奈良県)も礎石式の建物である。なお、掘立式と礎石式の建物は長らく併存状態が続き、礎石式に完全移行したのは幕末のこととされている。礎石式の木造建築物は1923年の関東大震災でその多くが倒壊したため、その後の新築木造の基礎は鉄筋コンクリートの布基礎に転換し、ボルト・ナットを介して上部構造と緊結されるようになった。現在の木造建築物の基礎は、さらに進んで「べた基礎」に転換しつつある。

注)現在でも、伊勢神宮の正殿は掘立式である。また、法隆寺五重塔の心柱も掘立式である。これらは宗教的な理由によるものである。

  なお、法隆寺は創建当時の姿のまま今日があるわけではない。これまでに複数回の解体修理が実施されている(傷んだ部材の交換、雨漏れ補修、構造的補強、部分的改変など)。現代的視点でこれを見たときの注目点は、分解・組立てが可能な基本設計にある。解体修理が困難な構造体が蔓延する今日にあって、この事実は新鮮に見えるのではないだろうか?

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